不況を知る②
今回の不況は世界を巻き込んだ海運の黒歴史、リーマンショックについてです。
リーマンショック(2008年9月)
2003年頃から2008年にかけて、海運は狂想曲さながらの熱気に満ちた期間でした。中国が世界の工場として本格的に存在感を持ち始め、日本を含む多くの製造業が中国に進出、その労働力として内陸部から沿岸部に民族大移動が起こっていた時代です。BRICSという言葉が誕生したのもこの頃で、新興国に大きな資本が流入した結果、不動産、資源、全ての価格が右肩上がりでした。
海運の運賃上昇も凄まじく、提示された運賃を1日でも保留・検討しようものなら、翌日にはもう同じ運賃で交渉するのが不可能な早さで運賃が高騰。世界人口の45%をしめるBRICSという新しい市場が、無に近い状況から誕生する訳ですから、多くの海運関係者がこの好景気を長期的な成長トレンドと判断したのも無理はありません。
「波に乗り遅れるな!」とばかりに造船所には問い合わせが急増。当時、日本と韓国の2カ国で世界のほぼ全ての船が建造されていた時代です。どの造船所も契約ラッシュで4〜5年先まで予約が埋まり、新造船価も当然うなぎのぼりです。まさに造船所の黄金期。
日本と韓国の造船所だけでは足りなくなった船会社たちは中国の造船所に目をつけます。当時中国はまだ船の建造実績がなく、品質の面でも契約履行の面でも大きな問題を抱えていました。特に予定通りの日に船が完成することがまず無い状態でしたが、どの船会社もお構いなしとばかりに発注することになります。そして、中国のすごいところは、需要があればそれに答えてしまうところです。浜辺には掘っ建て小屋のような新しい造船所が雨後の筍のごとく出現、この旺盛な需要を恐ろしいペースで取り込んでいくのです。
金融機関も異常な状況でした。 銀行は融資をしてもらいたい一心で金利を叩き合い、融資額を上げ合い、途轍もない低金利・ハイレバレッジの資金が海運市場に流れ込み、新造ブームに拍車をかけていました。
ドイツでは、弁護士や医者が小口投資する船舶投資組合KGシステムが最盛期を迎え、シンガポールでも船舶リート(Shipping Trust)が始まり船会社以外の投資家にも熱気がありました。
2008年9月リーマン・ブラザーズが倒産。
リーマン・ブラザーズをも倒産に追い込むサブプライムローンが抱える潜在リスクは、世界の金融機関や投資家の疑心暗鬼を呼び、巨大な信用収縮が市場を席巻、資金の流動性が完全に蒸発する事態になります。そしてその問題は石炭や鉄鉱石といった資源市場にも飛び火していきます。
海運もリーマン・ブラザーズの倒産直後から運賃の大暴落が始まります。最も顕著だったのがケープサイズバルカーで、1日あたりUS$230,000(約3200万円!)あった傭船料が、半年も経たずUS$2,700 (約37万円!)に、まさに半年で運賃が100分の1になるのです。ここまで運賃が下がると、もう船会社は船員の人件費すら払えない状態になります。
海運とは全く関係のなさそうな投資会社リーマンブラザーズの倒産が、なぜ運賃大暴落につながるのか理解に苦しむ海運関係者たち、、。「いままでの好景気は新興国の台頭によるものだ。BRICSのマーケット規模から考えるとサブプライム=アメリカ不動産市場規模なんて小さいし、この混乱はいずれ収束してまた元の水準にもどるだろう…」 そんな希望とは裏腹に、いつまでたっても運賃は戻りません。
リーマンショック前に大量に発注された新造船はどうなったかのでしょう?中国は大規模の財政出動し、造船所はまさに人工的に操業を続け、韓国も国主導のファンドが造船業に資金を注ぎ込み、不況にもかかわらず、船がどんどん建造され市場に投入される事態に。
これが運賃回復を押し下げつづける要因になり海運はリーマンショック以来「失われた10年」の状態に陥ることになるのです。
ちなみに、日本はどうだったかというと長期傭船ビジネスモデルの柱としている日本船主はリーマンショックの影響をすぐには受けませんでした。日本の金融機関もサブプライムローンにはほとんど手を出していなかったので被害は限定的でした。ただ問題はまるで地震のあとの津波のように遅れてやってくるのです。海運の回復が遅れ傭船契約が履行できない船会社がぼつぼつ出始めた時期に、為替70円台というプラザ合意さながらの円高が重なる事になるのです。日本船主は苦境に立たされるのですが、それでも外国の船会社と比べて傷が小さく済んだのは、地元産業を支える地銀の存在によるところが大きいでしょう。
執筆者:代表 昼田将司