海運のナレッジ

船舶保険は冒険から生まれた? 船舶保険会社との対談企画!➀

マリタイムバンク営業部の阿部です!最近弊社のSNSアカウントへ「船は沈む可能性があるからリスクが高い」「海賊に襲われるからリスクが高い」といったコメントが多くきております。

確かに私も船の仕事を始める前までは同じことを思っておりました。しかし、船も自動車や不動産と同じように“保険”が存在し、万が一の事故が起きた場合でも保険会社がサポートしてくれる仕組みとなっております。

そんなこと言われても、仕組みがわからなければいまいちピンときませんよね?

そこで、一般の方々が船舶保険の仕組みをわかりやすくご理解頂くために、今回は船舶保険のプロである「三井住友海上火災保険株式会社」の営業マン、遠藤雅也(えんどうまさや)さんに実際にお会いし、船舶保険についてわかりやすく説明をして頂きました。今回はその対談内容を対話形式で書かせて頂きます!

船舶保険の歴史 ~世界編~

阿部:本日はよろしくお願いします!

遠藤:こちらこそよろしくお願いします!それではまず船舶保険の歴史について簡単にご紹介します。船舶保険がいつどこで始まったかについては諸説がありますが、今日では船舶保険の前身は冒険貸借(ぼうけんたいしゃく)であるとの説が有力です。

阿部:冒険貸借とはなんですか?あまり聞き慣れない言葉でして…

遠藤:この冒険貸借とは、船舶と積荷を担保とする金銭消費貸借であり、担保物が海難事故にあって滅失した場合には、債務を免かれるという条件付債務であったようです。

阿部:要するに、無事に帰港できれば、貿易業者は金融業者に利息を付けて返済する。海難事故で船や積み荷が失われれることになれば返済しなくて済む、ということですね。

遠藤:その通りです。当時は今より航海技術が低く、リスクが格段に高かったため、貿易はまさに冒険でした。そのリスクを回避するものとして編み出されたのが冒険貸借です。ちなみに元金に対する利息は1航海につき2割~3割という高利であったといわれます。あと、この滅失の例として、沈没や修繕不能となった著しい損傷等があげられますが、これらを我々は全損と呼びます。全損の定義に関しては後程説明しますね。

阿部:船舶保険は冒険から生まれた、ということですか。ロマンがありますね!

遠藤:その後、地中海沿岸の貿易が盛んになり、それに伴って12世紀~13世紀には冒険貸借はイタリア、フランス、スペインなどの地中海沿岸都市で盛んに行われるようになりました。また、14世紀には航海が失敗したときは金融業者が積荷の代金を支払い、航海が成功したときには金融業者に手数料を支払うという仕組みが編み出され、それが今日の「海上保険」に発展しました。なお、以前の冒険貸借で無事航海が終了したにもかかわらず、借金を返済しない航海業者が増えていた背景もあり、保険料は前払いが原則とされ、このことから保険料をPremium(前もって支払う金額)と呼ばれるようになったそうです。

今回ご協力頂きました三井住友海上火災保険株式会社の遠藤雅也さん

船舶保険の歴史 ~日本編~

遠藤:船舶保険の日本史としましては、江戸時代初期17世紀初頭の中国や東南アジア諸国との間で行われた朱印船貿易の時代にポルトガルから伝えられた「抛金(なげがね)」と呼ばれるものが日本における海上保険制度の起源といわれています。

抛金とは1航海につき金融業者が証文に基づいて金を貸し、無事に航海が終われば3~11割の利子をつけて元金を返済しますが、船が難破した場合は利子も元金も払わなくていいというもので、日本における損害保険のベースになったと言われております。抛金は冒険貸借と同様の金銭消費貸借であり、博多や堺などの港では広く行われていました。

その後、抛金の制度は急速に衰えますが、江戸時代中期17世紀末には「海上請負」と呼ばれる貨物保険制度が生まれました。これは廻船問屋が、荷主に対して高い運賃を取って受託貨物の輸送中の損害を補償するといった制度です。保険契約とは少々異なりますね。そして、明治維新によって船舶保険の必要性が注目され、欧米諸国における船舶保険の考え方が日本に認知された、といった流れです。

阿部:ありがとうございました!非常に勉強になりました!

それでは次回から現代における船舶保険の種類や仕組みをご紹介していきます。お楽しみに!

執筆者:営業部 阿部廣